秋田蘭画byサムライアーティスト

東北の武士が描いた絵が、世界の美術に影響を与えたともいえる…そんな作品「秋田蘭画」をご紹介します。

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佐竹曙山 岩に牡丹図(部分)

 

佐竹曙山 椿に文鳥図

佐竹曙山 椿に文鳥図

西洋や中国の絵画から合理的な視覚と写実的な表現を学びとり、日本の絵画の歴史に新たな境地を拓いたものとして高く評価されている「秋田蘭画」は、江戸時代後期、東北の秋田で生まれました。

佐竹曙山 写生帖

佐竹曙山 写生帖

秋田蘭画の始まりは、今から240年以上前にさかのぼります。
1773年、時代は江戸、鎖国の世。秋田を訪れていた平賀源内が角館佐竹北家の武士・小田野直武と出会いが始まりとされています。

小田野直武「東叡山不忍池」

小田野直武「東叡山不忍池」

源内は秋田滞在中、画才に秀でた直武に目を留め洋画法を教え、その後直武は、八代秋田藩王佐竹義敦の強い後押しを受け江戸に上り、源内のもとで本格的に洋画の技法を学びます。

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そして1774年、かの有名な杉田玄白らによる西洋医学書の翻訳「解体新書」の挿し絵を描くことになるのです。(すごい!)

小田野直武 蓮図 

小田野直武 蓮図

こうした歴史的な場面に遭遇しながら、また、蘭学者ら多くの進歩的知識人との交流を通じながら、小田野直武は秋田蘭画の原型となる技法を身につけていきます。

佐竹曙山 松に唐鳥図

佐竹曙山 松に唐鳥図

秋田に戻った直武は藩主・佐竹義敦(画号:曙山)を始め多くの秋田藩武士らとともにたくさんの作品をうみ出します。特に佐竹曙山は、藩主にふさわしい気品のある作品を数々残しています。

佐竹曙山「写生帖」

佐竹曙山「写生帖」

秋田蘭画は、直武、曙山の死とともにわずか十年足らずで衰退してしまうのですが、秋田蘭画の技法や構図は、その後、北斎や広重らの浮世絵にも受け継がれたといいます。
(北斎の、あのダイナミックな構図の富嶽三十六景の初版は1823年に制作が始っています。)
そして、浮世絵はご存知のように、西洋の画家たちにも大きな影響を与えることになります。

佐竹曙山「湖山風景図」

佐竹曙山「湖山風景図」

東北・秋田藩のサムライアーティストが描いた作品群…それが時を超え、世界の美術史に影響を与えたと考えると、なんともステキなロマンを感じますね♬
(館長:中嶋)

 

佐竹曙山 燕子花にハサミ図 

佐竹曙山 燕子花にハサミ図

 

佐竹曙山「岩に牡丹図

佐竹曙山「岩に牡丹図

小田野直武 蓮図 

小田野直武 蓮図

佐竹曙山:写生帖(秋田市立千秋美術館蔵)

佐竹曙山:写生帖(秋田市立千秋美術館蔵)