「大和し美し」

Posted on 2020-08-07 by nakajima

17年前の2003年6月、生誕百年記念展として
棟方志功の作品が仙台(宮城県美術館)で公開されました。
私も胸をときめかせながら作品展に行ったものです。

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素朴な迫力と作品からにじみ出る情熱…などと言葉で表現すると
ありきたりになりますが、いつまでも去りたくないと思わせる魅力が
展示会場にあふれていました。
中でも私がビックリしたのが「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を主題とした
叙事詩二千字を刻み込んだ大作「大和し美し(やまとしうるわし)」です。

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ほぼ同時代を生きた詩人佐藤一英の「大和し美し」を読み、
大きな感動を覚えた棟方はこの長編詩の全文を21枚の版画にしたとのこと。
(表題の柵を含めて22枚)昭和11年棟方志功33歳の時の作品です。

この常識破りの作品が浜田庄司や柳宗悦との親交を深めるきっかけになったわけで、
両氏がいなければ棟方の人生も違ったものになったろうと思われます。
終りがないのではと思われるくらいの巨大な絵巻物のような世界…
実際は26.5㎝×約7m位だと思いますが、
私の目には今でもその迫力が焼き付いています。

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17年前に宮城県美術館で購入したその時のカタログでは「大和し美し」の紹介は
ほんの2ページで、1枚1枚の柵(作品)の扱いも非常に小さなものです。
でも私は、かねてより各作柵毎に活字の文章をあてはめ、対比させたい…
より深い理解の助けにしたいものだ…
と思っていました。
そこで今回、それを実行する事にしました。
(柵の画像自体は私のカタログからなので小さく見づらいかもしれませんが)
皆様にとっても実物を鑑賞する機会が訪れた時、
作品をより楽しむ手助けになるのではないかとも思いながら…。




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A_big「大和し美し」
大和は国のまほろばたたなづく
青垣山隠れる大和し美し
(倭建命)

黄金葉(こがねば)の奢りに散りて沼に落つれば 鋺(もが)くにつれて底の泥その身を裹(つつ)み離連つなし・・・・
われもまた罪業重くまといたる身にしあればいかでか死をば遁(のが)れ得む
されどわれ故郷(ふるさと)の土に朽ちざる悲しさよ

ああ陽はいまや大和なる山の紅葉(もみじ)を耀(かがや)かし
昔わが遊びし野辺や河岸に子供らの影ゆらめかす思いあり


B_BIGかしこには一人の男(お)の子 他の子らを制して草叢を分け 鶉(うずら)の巣にぞ近づきたれ
その手にはおのが上衣(うわぎ)を脱ぎてかかぐ
またかしこには竹の弓もて柿の実を狙える子あり 百舌(もず)射損じての戯れか 額汗ばむ
ほど遠からぬ杉の木の根本に母は幼子(おさなご)に乳房やりつつこのさまを頬笑みて看る
子供らよ さきく育てよ 母の背の杉にまさりて
されどいましら猟(かり)にいでん齢(よわい)となりて
猪(いのしし)の牙を折るとも兄弟(はらから)の頭(こうべ)を拉(ひし)ぐことなかれここにその兄をば弑(と)りし咎めにて父には離れ とつくにに骸(かばね)さらさむ人の子あり

ああされど何をか告げむ 世は一瞬にして目覚むれば罪あり身なり
昨日伊吹は紅葉(もみじ)して空を染めたり
今日見ればかの大いなる猪のごとく白し

Cわれ足萎えて彳(たたず)みしとき 農夫は稲刈るをいそぎいたりき
いま彼等は榾柮火(ほたび)をめぐり新らしき飯(いい)ほほばらむただわれは苦き汁を啜ればよし・・・・

ああ美夜受(みやず) 汝(な)が参らせし酒の香ぞ この汁にこもれる心地す
しかれども薬を毒と変ずるは汝がやわらかきかいなにあらず
なれはかの夜 無知なる百合花の咎(とが)もなく揺(ゆら)ぎて匂い悩ませり
腹太き蜂そのうちに飽くなき情慾を横(よこた)へ眠りき
汝(いまし)の髪に顔を埋め われ父を弑しまつらむ夢にふけりぬ
いずれか罪の深からむ 母となる人を盗みしわが兄と
われ自らの夢にふるえおののきし


Dさるにわれいましが甘き息のもと 再び醉に落ちしこそわが過(あやまち)なれ
汝(なれ)はいまもわれを待つらむ ああ美夜受 われ待ちがてに襲(おすい)の欄(すそ)にまたも月のたたむとき
契りて置きしわが剣かいなにまかむ
かくてなれ わが肉身を得ざるにぞ まことの愛を学ぶべし


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ああ帰らざる昨日をなげきぞ新し
鎧まとえる若者ひとり山坂の岩角に立ち 誇らかに来し方遙かにふりかえる そは昨日のわれなり
征矢(そや)飛び来ってわが楯に中(あた)ると見れば燕なり 身を翻えしわが肩を掠めて去りぬ
世は真夏 野はかぎりなき海にも似たり
住家みな輝やく波におほわれて人なきごとし まことの営みは垣にかくあり そを知らざりしこそわが愚なれ
われは感じぬ なき妻のいまはの歌の一節(ひとふし)ぞ勝利の鼓に優れるを

ああ橘 思いぞいずれ かの日 空は暗澹として 霙(みぞれ)おちこむ景色なり
淵さながらの空を劃りて涯もなく葦は穂を並(な)む

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Fわれらの道もなきそのなかをひたすら進みき
なれの頬そこここに血を滲ますに
われ気づかえば なれ何事か不吉なるものを感ぜしごとく
――道早振(ちはやぶる)神の住むちょう大沼はいずれにあらむ
その気もあらず怪し あやし
かく言いも終わらぬうちに鷺群(さぎむれ)をなし葦原を飛び立ち去りぬ
時もあせらず一条の煙昇れり
――かしこにも なれの指さす方向に一団の焔はあがる そはわれらを謀(たばか)て焼き殺さむとする賊の仕業なりけり
げに愛するものは明智こそ得るなれ


Gわがおばより賜りし袋を開けむことをすすめしもなれなりき
げに愛するものは勇気こそ得るなれ
わが剣もて葦を薙ぎゆくうしろよりそを掻き集めかの袋にありし 火打ちもて火を放ちしもなれなりき


H賊向い火にあふられて逃げ散りしのち わが焼跡の灰にまみれし櫛を見いでてなれに示せば なれ莞爾(かんじ)として乱れたる髪を束ねぬ

図らざりき その笑顔いまもなお見るがごときに その櫛のみ こたびは浜の白砂(しらさご)に半(なかば)埋るを見いでむとは
われは湿りてやや黒ずみしその櫛を手に受けしまま茫然たりき
かくもわれとは縁(えにし)深く なれの肉身の一部かと思われしその櫛に あわれ なれの髪の香さへかぐを得ず藻草の香のみおおう蔽わむとは

 

i亡ぶには七日を待たず されどそはまだよし
愛うすくして罪深からむ輩(ともがら)には亡ぶに速き忘れあり

jなれ失いし悲しみも渡(わたる)の神の牲(にえ)となり浪にのまれし束の間ぞ
風 海の底より起り 波 空を行く折しもあれ
忽然と波間に消えしなれの顏 その白き幻も塒(ねぐら)におりし鳩にもあらで 明日また浮びはいでじ
さるにあわれ わがこころにはただ黒き血に燃え猛る鷲の翼ぞ拡ごりたり
やがてそは牲をのみて跡をも見ざるかの暗き走水(はしりみず)の浪にもまして翔け去りぬ・・・・
ああ父の愛喪(うしな)いてなお愛を信じいたりし幼き頃ぞなつかしき
望みも果てし暗き築地(ついじ)のわが胸にふとも香る梅の花 そはわがば倭の御衣裳(みそも)に移りし肌の香ぞ


Kああ倭 われかつてお身の胸に抱かるる思いに酔いてお身の御衣裳に鎧せり
わが身裏に溢れし力はわれのものならで 母のごとく温かきお身の愛にてありしなり
さるにわれわが力に優る熊曽建(くまそたける)を討ちてより お身の御衣裳をわが妹(いも)の肌をたのしむ夫(つま)の心に感じ始めぬ
呪いやいかで免れむ 神に仕うる処女子(おとめご)の血をも穢さむ夢みしものに
われふるさとを幾山河雪雲深きとつくにに死なむということわりなれ


Lああ倭 お身の名を再び呼べばわが目にはふるさとの空晴れ渡り 山々は肌も露わに現わるる
そはわが子いかに見悪(みに)くからむも そをはぐくむこころには人目もあらず胸をはだける母をさながら光浴びたり
M「大和し美し」(やまとしうるわし) 作詞:佐藤一英

 

 

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(展覧会が開催された2003年と言えば、朝青龍がモンゴル人初の横綱になったり、
当時小学生だった娘も好きな「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞した年です。
私は寝床で分厚いカタログをめくりながら「棟方志功、最高だ!シビレルよなぁ〜!」と言いながら、娘に見せてやったものでしたが、娘の反応は「どうしてこれがシビレルの?」といった素っ気ないものでした。早すぎたか…涙!)

 


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