こじまゆういち Y.Kojima

Posted on 2020-01-21 by nakajima

画家、こじまゆういち(小島祐一)さんの作品を紹介します。
優しく誠実な人柄が骨太のタッチから伝わってくるような、私の大好きな作品の数々。
今回は木炭画を中心に掲載させていただきました。
また、作品に関するこじまさんによる覚書があるんですが、味わいがあり、私はとても興味深く感じましたので要所要所に掲載させていただきました。

 

5_3臨月 2004
長男の出産に立ち会った時、絵を発表する勇気も共に授かりました。すぐにギャラリーヒルゲートへ作品を持ち込み、日本での初個展を2004年クリスマスに開催しました。この作品を描いた当時は、毎日汗だくでツルハシをふるう土方仕事をしていたことを思い出します。

 

 

3京北の冬 2009
雪が積もると、あらゆるモチーフが描いて欲しそうに訴えて来る。原付で京北まで何とかたどり着き、凍えた手を熱いエンジンに当てる。木炭が握れさえすれば良い。

 

5_2臨月 2004

 

 

1_3旭岳 2001

 

 

2陸奥の女 2001
木曽で木工職人をしていた頃の作品です。毎日カンナやノミを研ぎ、木を削る日々を送りました。天然の素材に親しむ貴重な経験となりました。

 

 

 

1_2木曽の女 2001
木曽で木工職人をしていた頃の作品。
毎日カンナやノミを研ぎ、木を削る日々を送った。作業は過酷で、絵を描く時間がとれず苦しかったが、天然の素材に親しむ貴重な体験となった。その中の一つの漆芸が、古典的な油彩の扱いと非常に似ていることも発見した。
休日は登山に明け暮れた。

 

 

23フィレンツェの女
La donna di Firenze 1996

 

9母子 2010

 

 

15嵯峨野 2003年2月末制作
京都に移住し、土方仕事で食いつなぎながら絵を描いていた頃の作品。
土を人力で掘ることがどれだけ過酷且つ達成感のある作業であるか身をもって体験した事が、田んぼや畑を描くモチベーションに繋がった。
眼前の田園は1300年以上にわたり土を穿り返し続けている。
明方前後の嵯峨野が当時の私のアトリエだった。

 

22我観る故に我在り 1997

 

 

5臨月 2004

 

 

6フィエゾレの家屋 1996

絵を描き始めて、セザンヌの影響をうけたイタリア留学中の作品。

大家さんが飼っている大きなシェパードのアナンダが私に非常に懐き、いつも私についてきた。2メートル以上もある塀を乗り越えて、私が写生している現場まで駆けて来る。
こんなこともあった。市内の学校へ行こうとバスに搭乗すると、入口で騒ぎがあった。アナンダまで乗り込もうとして乗客と揉み合っているのである。さすがに大男に足蹴にされてアナンダは乗れなかったが、発車後もずっとバスを追いかけて来た。徐々に姿が小さくなり、やがて見えなくなり心配したが、夕方帰宅するとアナンダはちゃんと戻っており、ハグしてくれた。

 

 

13京の女 2003

 

 

17ねんね 2004

 

 

14えほん クリスマス 2015

 

 

20幼子 2012

 

 

10えほん 2009

 

 

24

 

 

7

パールバティ像 2001年

インドのカジュラホでのスケッチ。
官能的なレリーフが寺院を埋め尽くす。中には1000年前の像もあり、やはり、古いものほど良い。灼熱の太陽。
3カ月間インド、ネパールを旅したことで自分のあらゆる常識が覆された。

 

 

16祖母 1997
実家にいる当時80代の祖母が伏しがちになったと聞き、今描かねば後悔すると思い、イタリアから帰国しました。
私が2歳の頃、クレヨンで線を引くのを見てこの子は絵描きになると宣言した祖母です。
明治生まれの厳しかった祖母の為にもやるしかないです。

 

 

21ニューヨークの女 1998

 

 

19父子 2005制作

 

 

掲載にあたり、快く許可してくださったこじまさんに深く感謝いたします。

今回は木炭画中心の紹介でしたが、次の機会には油彩画も多めに紹介させていただきたいと思います。
こじまさんについて更に知りたい方はこちらのサイトが助けになるかと思います。
『てっちゃんの父親展 こじまゆういち 』個展(2017.4) https://blog-osaka.takashimaya.co.jp/art/post/27459

 

 

 


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