ゴッホと浮世絵
Posted on 2018-03-16 by nakajima
1853年(嘉永6年)は日本に黒船が来航した年ですが、かの有名なポスト印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)がオランダで生まれたのもその年でした。
ペリー率いる黒船来航以来、日本の様子は広く欧米に知られるようにり、特に浮世絵はまたたく間に評判になります。
すでに写真の技術が知られていたヨーロッパでは、写実主義の絵画は否定され、印象派によって新しい流れが作られるのですが、片や日本では文明開化が起こり、浮世絵などの出版物が急速に衰えていきます。
日本趣味(ジャポネズリー)から始まった日本美術の影響は、1876年には”japonisme”(ジャポニスム)という単語がフランスの辞書に登場する程大きなムーブメントになります。
皮肉というか、本国で衰えた日本美術は海を越え、ヨーロッパで絶大な評価を受け、それ以降1世紀近く続いた世界的な芸術運動の発端となりました。
マネ、モネ、ロートレック、ゴーギャン等々、多くのアーティストは日本美術から強い影響を受け、後世に残る名作を書き上げてゆきます。
そして、ゴッホもその一人でした。
ゴッホの伯父ヤンも海軍軍人としてすでに1860年代に日本に滞在していたという事ですが、ゴッホが日本と日本美術に強く魅かれるようになるのは、1886年にパリに出てきてからのことのようです。
ゴッホは大量の浮世絵を見ながら、その鮮やかな色彩や質の高さに魅せられます。
(浮世絵はその当時、まだ安価だったようです。)
浮世絵を集めては模写をし、肖像画の背景にも描き込んでいます。
オランダ生まれのゴッホはパリで印象派の影響を受け、暗い色彩を捨てて明るい印象派風の作品を描くようになります。
そして、浮世絵と接してさらに革新的な独自の絵画を生み出すようになったのです。
ゴッホ特有の平坦で鮮やかな色面を使った画風は、浮世絵の影響と深い研究があったからこそといわれています。
日本に強い憧れを抱いたゴッホですので、彼の手紙には「日本」について書かれたものがたくさんあるようです。
あったかギャラリー主宰・川嶋のブログでもゴッホの手紙が紹介されています。
こちらもぜひご覧下さい。
ゴッホの手紙は900通
(ノボ村長の開拓日誌より 2012・11)
http://d.hatena.ne.jp/kawasimanobuo/20121128/p1
中嶋記
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