優れたアートは国内外にたくさんありますが、あらためて凄いと思うのが琳派のアートです。 今年(2015年)は、日本が誇る歴史的芸術ムーブメント「琳派(りんぱ)」の400年記念にあたるとのこと。
私達日本人にとってはあまりにもなじみ深いアートですが、「琳派」をかいつまんで言ってみれば…… 桃山時代後期から江戸幕府草創期に活躍した俵屋宗達(たわらや そうたつ)、本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)らが創始。
本阿弥光悦は、江戸時代初期の書家として、また、陶芸、漆芸、出版、茶の湯などにも携わったマルチアーティストです。本阿弥光悦が俵屋宗達ら絵師、職人をディレクションしてつくりあげた様式がのちに琳派と呼ばれたわけで、独自の華やかでデザイン感覚に富んだ世界が特徴。組織があったわけでもなく、当主や家元がいるわけでもないんですね。
その後の尾形光琳(おがた こうりん)・乾山(けんざん)兄弟により発展します。 光琳は宗達の風神雷神図を模写していますが、その構図を借りつつも図様を梅に置き換えた「紅白梅図屏風」は光琳の最高傑作と言われています。また「琳派」の名称は、光琳の名に由来します。
江戸後期に入り酒井抱一(さかい ほういつ)、鈴木其一(すずき きいつ)らが再発見…という流れを持っています。しかし、宗達と光琳、光琳と抱一はそれぞれおよそ100年ずつ活動時期がずれていて、当然たがいに面識もなく、師弟関係もありません。 つまり、「琳派」は派閥や組織ではなく、純粋に様式を指しているということですね。
ところで、ウイーンの象徴主義の画家・グスタフ=クリムト。なにやら光琳の影響が大なようです。クリムトの単純化されたフォルムや金箔を使った装飾的画面など光琳や琳派の作風の影響が感じられます。 19世紀末のヨーロッパはジャポニズムという日本文化浸透現象があり、とくに旧来の写実的表現が絵画の王道とされていたヨーロッパでは、カメラの発明から写実は写真に取って代わられました。 絵画の新たな模索を思考中だった西洋画壇は、日本絵画は衝撃的なインパクトをもって彼らを魅了したようです。
昭和期を代表するグラフィックデザイナーとして活躍した田中一光氏も琳派より大きな影響を受けています。 田中一光氏は店舗空間、環境デザイン、CI計画、グラフィック、「無印良品」のアートディレクションなどを通して、企業イメージ戦略をデザイン面から総合的に支える活動を行ないました。 また、日本の伝統文化である「茶の湯」の現在のあり方を模索し、茶人「宗一(そういつ)」としても多くのクリエイターに多大な影響を与え「現代の茶の湯」を広めました。
う〜ん、その人生までも、なにやら琳派の創始者、本阿弥光悦とマルチアーティストとして共通する部分が多いようですね。
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