毛糸・絆・生きる
Posted on 2019-03-20 by nakajima
3.11の震災を機に、手編みを通してお互いを支え合おうという趣旨でスタートした活動「ヤーン・アライブ」の作品を紹介します。
8年前の2011年3月11日の大震災で、宮城県七ケ浜町は4分の1が浸水。
海沿いの住宅は津波に流され、死者は66人、行方不明者は6人を数え、多くの人が仮設住宅に入居しました。
その年の6月初め、仮設住宅を訪れ、「編み物をやってみませんか」と声をかけた人たちがいました。
七ヶ浜町で暮らす米国出身のテディさんと友人のウェンディさんです。
彼女たちは高台に住んでいたため、津波の被害を免れたのですが、かつて阪神淡路大震災の後、生きがいを失って命を断ったお年寄りがいたことを思い出し、自分の住む町でそんなことが起こってはいけないと感じたそうです。
手編みを通して お互いを支え合おうという趣旨で始めた活動は「ヤーン・アライブ」と名付けられました。
Yarn Alive…文字通り、毛糸・絆・生きる…こんな意味がこめられてるんでしょう。
毛糸と道具はアメリカから送ってもらい、集まった寄付金も毛糸と道具に変え、仮設住宅の女性たちに声をかけるところから活動を始めたわけです。
編み物の目的は自分のためでもいい。介護施設など、あるいは困っている誰かのためでもいいのです。
喪失感、孤独感、苦悩にさいなまれる仮設住宅の女性たち…。
しかし、自分たちのつくったものが誰かの役に立つ…そう実感することでメンバーは次第に生きる力を取り戻していったといいます。
メンバーも増えていき、その取り組みは米国のマスコミにも取り上げられ、アメリカ中から毛糸が届くようになったとのこと。
しかし、震災から5年後、新たな状況が生まれます。
仮設住宅から災害公営住宅への転居が進み、再び女性たちは繋がりを失おうとしたのです。
心のケアを目的に発足した活動「ヤーン・アライブ」を続けるには新しい場所を作らなければ…。
仮設住宅での暮らしを通じて培われた友情と絆を守らねば…。
そして、テディさんたちが宮城県と交渉を重ねてつくったのは「ヤーン・アライブ・ハウス」でした。
建設費用は3,500万円。台湾や日本国内などからの寄付で賄われました。
ヤーン・アライブ・ハウス(Yarn Alive House)は正式名称は旧花渕浜集会所といいます。
テディさん曰く「赤は幸せの色」。
そして今や、赤い建物に集うメンバーの作品は世界へ…。
例えば、ヨルダンにやってきたシリアからの難民に届けられた編み物…
それは日本で津波の被害を受けて全てを失ったおばあちゃんたちが自分たちのために作ってくれたと知り、感動は生きる大きな力になったといいます。
ヤーン・アライブ・ハウスにはメンバーの皆さんがつくった編み物を身につけた世界の子供たちの写真が飾られています。
自分たちのつくったものが誰かの役に立つ…それが喜び。
毛糸がつくる絆で世界中があったかくなりますように…。
http://yarnalive.com/building-project
https://www.facebook.com/yarnalive/
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