リラ・キャボット・ペリー 明治の日本を描いた印象派の画家

Posted on 2017-08-20 by nakajima

今から100年以上前1898年(明治31年)に日本へやってきて、初めて印象派の目で日本を描いた女性の画家、リラ・キャボット・ペリー。
アメリカ在住のアーティスト大野順子ロスウェルさんのナビゲーション(PDF)で紹介します。1



(クリックしてお読みいただけます。↓ ↓ ↓)
リラ・キャボット・ペリー ~明治の日本を描いた印象派の画家~

by:大野順子ロスウェル



この文章はアメリカ在住のアーティスト大野順子ロスウェルさんによるもので、多くの文献からまとめあげたリラ・キャボット・ペリーを知る上での貴重な労作です。

2(…以下、あらすじを紹介いたします。)

リラが13歳になった年、南北戦争が始まった。
キャボット家は病人や負傷した人たちを助け、逃げてきた黒人奴隷を受け入れた。
戦争はリラの17歳のとき終わった。

1868年、20歳の時、リラは友達からトーマス・サージェント・ペリーを紹介される。
トーマスはベンジャミン・フランクリンの直系の子孫で彼の大叔父は日本の開国を促した黒船で知られるペリー総督だった。
それから6年してリラとトーマスは結婚した。

画家として認められたリラ41歳の夏、ペリー一家はフランスのジベルニィで過ごすことになる。そこには印象派のモネが住んでいた、(ジヴェルニーは印象派の巨匠クロード・モネが晩年を過ごし、名作を残した場所。)
リラはモネの画風にひかれ、彼の唱える野外での光の中での写生に共鳴する。

31898年ペリー一家は日本へ向けてボストンから出発した。夫のトーマスが慶応義塾大学の英文学の教授となったためである。

ヨーロッパで経験を積んだ後での3年間の日本滞在はリラに新しい芸術の目を開かせた。
版画や日本画、とくに歌麻呂、北斎、広重の浮世絵はすでにジャポニズムとしてフランスの印象派やアメリカのウィスラー、ラファージに影響を与えていたが、日本にきて版画や日本画の線の美しさ芸術性にあらためて感銘を受けた。

(しかし明治31年当時の日本の美術界の内情は夫トーマスの大叔父、ペリー総督の黒船による開国以来、伝統美術はかえりみられず西洋美術一辺倒だった。)

当時リラは50歳、娘のアリスは14歳になっていた……。

………………リラ・キャボット・ペリー 明治の日本を描いた印象派の画家より

 

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リラ・キャボット・ペリー 『Child in Kimono (着物姿の子供/モデルは娘のアリス)』 

 

以前大野さんのエッセイ「明治を描いた画家ロバート・ブルーム ―日本での日々―」そして「ヘレン・ハイド、明治の浮世絵師となったアメリカ人女性」を、等ギャラリーで紹介させて頂きました。

大野さんとメールのやり取りの中で「明治の日本を描いた印象派の画家」としてのリラ・キャボット・ペリーを知り、ぜひ「あったかギャラリー」で紹介したいとの思いを伝えましたところ、快く承諾をいただき掲載させて頂く事になりました。

ちなみに、大野順子ロスウェルさんのWebSiteはこちらです。
http://www.junkoonorothwell.com/index.htm
大野さん、ありがとうございました!



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リラ・キャボット・ペリー 『In a Japanese garden(日本庭園にて)』

 

今回紹介する大野さんの文章では、リラ・キャボット・ペリーの娘・アリスについて詳しくは触れていませんが、白洲正子との関係はとても興味深いものがあります。

…後に、娘のアリスは後に外交官ジョセフ・クラーク・グルーと結婚し、1931年夫グルーは駐日大使となり、アリスは再び30年ぶりに日本の土を踏むことになりますが、1933年、娘夫婦が日本滞在中に、リラは死去。

大使夫人となり、再び日本の地を踏んだアリスは、夫と共に日本の上流階級や財閥との社交にいそしむ…。

その交流の中でも、特筆すべき友人が、樺山愛輔(白洲正子の実父)だったという。
アリスの4女、エリザベスは1912年生まれ。
白洲正子(1910年生まれ)と年が近く、よき遊び友達だった。(『白洲正子自伝』には、グルー大使一家と白洲次郎・正子夫妻の交際についても記されているらしい。)

ジョセフ・グルー大使は当時の外務大臣、広田弘毅と日米開戦を避けるべく関係を繋いだが、1941年の真珠湾攻撃による戦争回避の道が閉ざされた翌年、戦時交換船により家族と共にアメリカに帰国。

帰国後、日本に原爆投下を行使せずに全面降伏させようと奔走。
戦後は天皇制維持の立場を貫き、米国対日評議会の活動を通じ日本の復興路線を支持したという…。

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リラ・キャボット・ペリー 『Alice in a white hat (白い帽子のアリス)』

 

リラ・キャボット・ペリーが孫娘のエリザベス・グルーにあてた手紙に、こんな事がかいてあります。

「あなたがよその国に行くとき、その国の内部に 入り込むようにするということを忘れないで。
そしてその国の人々を本当に知って、その人たちの考え、物の見方、望んでいることなど理解するように。
私はフランス人に関してはまるで自分が作ったかのように分かっていたし、日本人についてもそこに38年も住んでいたL夫人よりもよほど私の方が知っていたわ。」

リラ・キャボット・ペリー ~明治の日本を描いた印象派の画家~ by:大野順子ロスウェル より)

幕末日本の開国を促した黒船とペリーから時始まり、明治、大正、そして太平洋戦争を経た日本とアメリカとの関係を、画家リラ・キャボット・ペリーは今、どんな思いで見てるでしょう?

南北戦争では逃げてきた黒人奴隷を受け入れたキャポット家、古き日本を愛し描いたリラ、戦後の日本復興路線を支持した娘夫婦の外交…

私は、不思議な運命と言うか、時を超えて受け継がれた人間性のドラマ…そういったものを感じてしまうのです。
(中嶋)







 

 


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