小室達と「甲冑堂」の楓・初音像
Posted on 2020-04-01 by nakajima
小室達(こむろとおる)という彫刻家をご存知でしょうか?
仙台市青葉山の天守台に立つ、あの凛々しく勇ましい姿の「伊達政宗公騎馬像」を作った方、といえば納得される方も多いと思います。
でも、源義経の家臣として平泉時代から仕えていた源義経四天王の二人、佐藤嗣信・忠信兄弟とその妻女にまつわる木彫を制作していた事は、ご存知でしょうか。
私の友人に、宮城県内外の仏閣や美術品をブログで紹介している厳つい男がおります。
渡邊秀樹氏という武道家ですが、アートに関する造詣が深く、私はその情熱のいくつかをあったかギャラリーで紹介したいと常々思っておりました。
…以下、渡邊氏のブログからの抜粋をご覧ください。
【小室達作「楓・初音の像」白石市田村神社「甲冑堂」】
源義経 四天王の二人、佐藤嗣信・忠信兄弟、
その妻女、楓と初音(かえで・はつね)の像が収められている「甲冑堂」(宮城県白石市 田村神社)へ…
佐藤嗣信・忠信兄弟は、現福島市飯坂地区生まれ、平安時代後期の武将
源義経の家臣と成り、四天王の内の二人に数えられたが二人とも戦場で落命
その死を惜しんだ義経の逸話も有名であります
(国芳木版でも、武蔵坊弁慶をはさみ左右の2人目に名前がある)
【歌川国芳:義経十九臣】縁に痛みありますが、これは私がアメリカで安く手に入れた物
・
兄弟の死を悲しむ親のため、未亡人となった嗣信・忠信の妻女らが 亡き夫の鎧兜に身をつつみ、義父を励ました気丈の逸話が ここ白石に伝わっております
【白石市 田村神社】
ここの「甲冑堂」には、佐藤嗣信・忠信の妻女、楓(かえで)、初音(はつね)甲冑姿等身大彩色木彫が安置されている(作者は、伊達政宗候騎馬像の制作者である彫刻家・小室達氏)
・
・
木彫とは思えぬ見事な武具のディテール
小室氏みずから関東の深山へ入り、選定した大木から彫り出された一本づくり
彩色に苦労された小室氏は日本画家・岡田華郷の協力を得て完成されたとのこと
後ろの屏風が同日本画家・岡田華郷氏の作品
松尾芭蕉がこの「甲冑堂」を訪れ涙したといわれる楓(かえで)、初音(はつね)の像は、明治8年の火災で焼失してしまい、小室氏のこの作品は昭和14年から安置されているもの
白石市役所観光課の方のお口添えで 内覧を許していただき、さらに田村神社の奥様に2時間以上にわたって、詳細なご説明を頂いた
心から ありがたいことでありました
・
別棟には、小室氏の写真等と共に 木彫制作の為の石膏原型も保管されています
また神主宅の床の間には小さいサイズの同じ像も御座いましたので(多分ブロンズ)
こちらは政宗候騎馬像同様に 関係者・出資者に配られたものか
近年、ここ田村神社には松尾芭蕉関連の来訪者はみえても、この小室氏の作品と楓・初音の逸事を求めて来る来訪者は非常に稀だということで 皆様も機会があればぜひ
(以上、邊秀樹ブログより抜粋)
http://watanabehideki.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/20190523
ちなみに以下、作者小室氏に関するものです。
[小室 達:こむろ とおる、1899年(明治32年)8月10日 – 1953年(昭和28年)6月18日)]
…昭和10年が伊達政宗公の300回忌にあたることから、その記念事業として、昭和8年に宮城県青年団から政宗公の銅像制作を依頼された。
小室はこれを名誉として、帝展への出品を取りやめ、アトリエを改築するなど、全エネルギーを銅像制作に傾け、準備を開始した。
銅像制作にあたって、小室は「馬学」という研究書を読むかたわら、岩沼の渡辺豊蔵氏や横田獣医官からも指導を受け、馬の研究に取りかかるとともに政宗を中心とした仙台藩の歴史の研究などを昼夜をとわずに続けた。
そして、その年の12月に製作が開始され、約1年半の年月をかけて昭和10年5月に見事、政宗公騎馬像は完成し青葉城址に据え付けられた。
政宗公騎馬像の重厚な雄姿を目の当たりにした多くの観衆からの感動の拍手が青葉山に響き渡り、鳴りやむことはなかった。
(柴田町Webサイトより)
詳細⇒https://www.town.shibata.miyagi.jp/index.cfm/81,27031,154,278,html
当ウェブサイトで提供している画像・文章等の著作権は、著作権者に帰属します。 著作物は、著作権法により、無断で転用、複製等の行為を無断ですることは禁じられています。