加納鳴鳳の書

Posted on 2022-06-23 by nakajima

私の友人に加納鳴鳳という書道家がいます。
小学校、中学校時代の同期だった彼は野球が大好きで、高校時代は甲子園球児でもありました。
そんな彼の書展が先月5月に開催され、私も鑑賞してきました。

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展示会場は宮城県の地元、大崎市民ギャラリー緒絶の館。
酒蔵を利用したとても趣のある展示館です。

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かつて私が抱いていた彼のイメージは頑健なスポーツマンだったのですが、大学へ進学してからは「糸球体腎炎による腎不全」により、体が動かなく目も見えなくなったといいます。

そしてそんな彼の命を救ったのはお母様の腎臓…。
加納くんは、いわば、お母様から2度命をもらった事になるんですね。

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どんな修練や試練を経て書道家になったのかいずれ聞いてみたいと思いますが、先ずは彼の作品を見ていただきたいと思います。
実は彼のお父様も高名な書道家で、私も小さい頃その指導を受けた事がありますが…所詮私は門外漢。
そんな私が見ても、彼、加納鳴鳳の作品は素晴らしい…の一言。

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薄っぺらな表現で恐縮ですが、もらった命をどう燃焼させるか…スポーツマンらしい迫力とお母様への感謝が響いてくるようです。

 

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個展会場で加納くんがくれた作品集(令和元年の個展開催時の冊子)からも何点か作品を紹介させていただきます。

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生きる事、創る事、表現する事の覚悟が伝わってくるような作品集だと思います。

冊子の中では、17年前の個展についても記しています。
腎臓を移植して30年、お母様への感謝と、個展に臨む気迫が伝わるステキなエッセイです。

30年。

10年、20年、25年ではなしになぜ30年を節目に個展の開催をしようと決めたのだろうか。

この数ヶ月、朝5時には寒さにかじかむ手を温めながら作品造りに取り組んでいて何故か気になって仕方がなかった。

ずいぶん前にそれを決めたような気もする。

ある朝母の仏前に線香をつけようとしてはっとした。

30年という区切りは母の言い出した言葉だと思い出した。

移植手術の前夜私と母はお互いに頑張ろうと誓ったが、その時「心配するな、私の腎臓は丈夫だから30年はもつよ」と言ったのだ。

3と言う数字は移植者にとっては鬼門であった。

3日、3週間、3ヶ月、3年このサイクルで移植された腎臓が駄目になった人が多かったのだ。

そんな思いと自分の寿命とを思っての30年だったに違いない。

あと3ヶ月、30年までたった3ヶ月で届くという日に母は此の世を去った。

春の日射しが少しずつ暖かさを増す頃、母の命を賭けた想いを背負って私は書展を開催する。

(花だより 2005年3月号より 加納鳴鳳)

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現在加納くんは宮城書芸院会長として多忙な日々を送っているようですが、いつまでも元気で、素晴らしい作品を創り続けてほしいもんだと思っています。

 

23個展会場での加納鳴鳳氏(左端)


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