岡崎靖男 Okazaki,Yasuo
Posted on 2016-04-13 by nakajima
宮城県の北部に位置する鳴子温泉郷は「こけし発祥の地」と言われています。
今回はそんな鳴子こけしを製作する「こけしの岡仁」岡崎靖男さんの仕事を動画といっしょに紹介します。
宮城県の北部に位置する鳴子温泉郷は昔から東北の湯治場として知られており、なんと、日本にある11の泉質のうち、9種類がここ鳴子温泉郷に集まっています。
鳴子へは,先ず東北新幹線で仙台の次の駅、古川まで行きます。
古川は大正デモクラシーの時に民本主義を唱えた吉野作造ゆかりの地。そこでローカル線に乗り換え、伊達政宗が築いた城下町岩出山を経由すれば鳴子はすぐです。
鳴子で生まれ育った伝統工芸士の岡崎靖男さんは、父・仁治氏に師事して、兄弟子の指導を受けながらこけしづくりを始めました。
鳴子こけしは、首を回すとキイキイと鳴ることで有名ですが、これは頭部を胴の部分にはめ込む、独特の技法が用いられているためです。 胴は肩の部分が盛りあがり、中央部に向かって少し細くなり、裾に向かって再び広がった安定感のあるシルエット。 模様は、「重ね菊」といって、横から見た菊の姿を重ねて描くものが代表的で、次いで、正面から見た大輪の菊を胴の下部に描く「菱菊」もよく見られます。 また、楓や牡丹なども好んで描かれます 。
鳴子こけしの起源はどんなものだったんでしょう?
昔は、鳴子温泉に泊まった客に木で作った細工や食器をお土産に渡していたそうで、そのうち、木工細工や木で作った食器の代わりに、木を彫って作った人形を宿泊客に渡すようになり、その人形が現在のこけしになったという話を聞いたことがあります。
古くから湯治は東北の農民にとって、厳しい作業の疲れを癒し、村落共同体の内外を問わず人々とのコミュニケーションを楽しむ重要な年中行事でしたが、湯治場では赤物の木地玩具が人気だったといいます。
赤い染料を使った玩具や土産物は「赤物」と呼ばれたらしく、赤は疱瘡(天然痘)から守るとされ、子供のあそび物として人気があったとのこと。
ろくろを用いて椀や盆等の木工品を加工、製造する職人を木地師といいますが、江戸時代末期、山から下りて湯治場に定着するようになった木地師が湯治客と接し、いままでお椀、お盆、仏器、神器のように白木のまま出していた製品に変化が起きます。
幕末期には湯治の農民達の土産物として、赤い彩色を施した木の人形を作ることになったようです。 こけしの頭に描かれている模様「水引手」は京都の「御所人形」に於いて、特にお祝い人形の為に創案された描彩様式とのこと。
つまり、こけしは子供の健康な成長を願うお祝い人形でもあり、心身回復と五穀豊穣のイメージが重なった山の神と繋がる縁起物でもあったのでしょう。
岡崎靖男さんのおじいさんも、お父さんも、甘美できれいな作品で知られる作家だったらしく、こけしのルーツに関してそのうちじっくり聞いてみたいものだと思います。
私(中嶋)の実家は鳴子の近くにあり鳴子こけしは小さい頃よりとても身近なものでしたが実は、彼、岡崎さんは私と同じ高校の同期生であり、当ギャラリー主宰の川嶋も彼の同期生です。
いずれ鳴子の湯にゆっくり浸り、彼の作品を改めてじっくり拝見してきたいものだと思います。
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